2026/09/02 22:47
1980年代の東京モッズ・シーンで活動したザ・メイベルズを率いた男、吉田カズマロをご存じだろうか。俺ははっきり言ってよく知らない。そのシーンでどんな存在だったのか、どれほどの影響力を持ったのか。 しかしながらひょんなことから交流が始まり、はや5年、彼の作る音楽に触れ、多くの言葉を交わし、時間を過ごす中で、少しずつこの男の輪郭が見えてきたような気がしている。 とはいえ、それを「伝説」だとかの便利な言葉で括ってしまうのは違和感がある。吉田カズマロは今もギターを持ち、歌を作っている。昔話だけを聞くには、現在進行形すぎるのだ。だから今回は、過去から現在まで、思いつくままに話を聞いてみた。 text by シュウ(G.T.D/Balladmen) シュウ:カズマロさんが自作を始めたのはウィンクスですか?その頃はどんな音楽を志してたんでしょう? カズマロ:曲を作り始めたのは中学生の頃かなー。ウインクスの前だ。自分の音楽についてはパンクだと思っていた。 シュウ:なんか切っ掛けがあったんです? カズマロ:たぶん10歳だったと思うけどギターを買ってもらったというのが大きい。 シュウ:音楽よりギターが先だったんですか? カズマロ:音楽をやりたいと思いギターにのめり込んだ。チューニングの方法もわからなければ僕は左利きなんだが左利き用のギター、というのがあることも知らなかった。僕はカッコつけなのでギターかっこいい、それで始めた。 60sの音楽が初めから好きだった。ラジオで聴いていた。ギターを手に入れた頃テレビでピストルズを見た。ギターの前は絵を描いていた。 シュウ:子供の頃から音楽が身近にある環境だったんですよね? カズマロ:そうだね父親の仕事の関係でサンプル盤のLPがけっこうあった。 シュウ:絵を描いていたのもそういった環境があったんですか? カズマロ:それもあると思うが、わりと学校、小学校でほめられたので絵は描いていた。ほめられるのとは違ったタイプの絵も描いていたけど。父親には僕の絵は酷評されていた。 シュウ:子供って褒められると描きますよね、俺も身に覚えがあります。 セックス・ピストルズをテレビで見たときの感想を教えてください。 カズマロ:僕の父親はレコードを持っていたけどあんまり聴いてはいなかった。レコードの帯のデザインをしていたので、家に持って帰るけど聴かなかったんだよな。そんななかに僕は自分の気に入るのを見つけて聴いていた。Tレックスとかアリス・クーパーとか。それなのでピストルズは、その流れとして聴き、かっこいいな!と思った。パンク、という言葉も聞いていたので、これか!と。 シュウ:サウンドクラウドかなんかに上がってた「Do You Know How Much I Love You」って曲が最初に作った曲なんでしたっけ?あの曲がピストルズに影響を受けて書いた曲?詞が確か英詞だった。 カズマロ:あれはピストルズを聴いてからずいぶん経ってから書いた。83年か84年とか、すでにモッズを意識したあとだなー。ウインクスのために書いた。高校一年生。他にも英語の曲を初めは作っていた。ウインクスではね。中学生の頃は日本語で書いていた。 ウインクスでも日本語になったのは他のメンバーの影響かな。曲作りでは直接的にはピストルズの影響はないかな。 シュウ:どういったところがパンクだったんですか? カズマロ:いまでは間違いだとわかるけど、下手くそでも音楽ができる、通用する、という認識があった。ビートルズのハンブルグ時代には影響されていて、あの音楽とパンクが直結していた。 シュウ:あの時代のビートルズはパンクそのものですよね。「下手くそでも音楽ができる、通用する」って認識は間違いだったとしても、それを通過するか否かで生まれてくる音楽は違ってきますよ。俺には通過してきた人間が作る音楽が魅力的です。 カズマロ:僕にとってのパンクからのメッセージはDIY、そのものだった。それで僕はカセットテープレコーダーを二台使って宅録をしていた中学生の頃。ジーン・ヴィンセントとか。そして仲間ができ、バンドが作られていった。 シュウ:そこからどうやってモッズに繋がっていったんですかね?モッズって、俺も音楽や服装、スクーターがかっこいいとは思うのですが、あの「集団性」とカズマロさんの孤高なイメージがどうも結びつかないんですよね。俺がカズマロさんを知ったのはこの5年くらいなのでメイベルズ等で活躍していた時のことは実際には知らないのですが。 カズマロ:バンドを始めて、地元で活動していた頃は、いわゆるパンク〜ビート系のバンドがいくつかあった(というかウインクスの影響は大きく、僕らを見て結成されたバンドもあった)。それらのバンドは各々のサウンドを出していた。東京のモッズシーンに入り込んだけど、僕らは音楽を提供する側だった。僕はずっと、モッズの音楽は何でもあり、と信じていたのでその通り演奏していた。自分のできそうなことをね。サイケデリックやフォークロック。人のやりそうにない音楽をやってた。86年にはもうスーツを着ることもなかった。あの頃はそれが認められていたんだよね、なぜか。 シュウ:なるほど。このインタビューを始めて、カズマロさんの口からまず「パンク」が飛び出したことが少し意外だったのですが、同時に「だよな」とも思いました。その意味がよくわかった気がします。 パンクでもモッズでも時代を経て持つ意味は変化していくものだと思いますが、当時は箱からはみ出たものが歓迎されていたんですね。カズマロさんの作品はいつ聞いても少しはみ出してる。 カズマロ:僕にとってのモッズとは、人と違う何者かであることだったし、いまは僕をモッズとは誰も思わないかもしれないが、自分の中にはまだモッズがいるんだ。パンクがさまざまなのとおんなじだよね。 シュウ:カズマロさんの中で「人と違う何者かであること」が重要になった理由を聞いてもいいですか? 俺も同じように考えるのですが、俺の場合は田舎者で街の人間に舐められないよう、そう考えるようになった、とか、そんなくだらない理由です。 カズマロ:僕の音楽をシュウは聴いてるのでわかると思うが僕は常にパーソナルな事を歌っている。僕は個人であること、それが人々を繋ぐキーだと思っている。人と人とは違うので、そこが同じなのではないだろうか。それを埋めるのは想像力なのだと。 ネコたちは「今夜のご飯は何かな?」と考えたりするのかな、どう思う? シュウ:どうでしょう。猫の気持ちは想像がつきませんね。「腹へった」くらいは感じてそうですが。 カズマロ:最近は個人的なのはあんまり受け入れられないのかもしれない。 シュウ:というと? カズマロ:人として同じところを重要視する感じ。息をすることとか。それはわかるが。 シュウ:ところで、例えばバンドだと「ガレージパンクで行こう」とか「ソウルのカバーを中心にやろう」とか、コンセプトがあるものだと思うのですが、カズマロさんのソロ活動にコンセプト、または目指すものなんかあったりします? シュウ:カズマロさんの思う「ブルースを歌うフォークシンガー」ってどんな感じなんでしょう?デイヴ・ヴァン・ロンクとかボブ・ディランとか?そういやカズマロさんに出会ったばかりの頃、俺がカズマロさんに好きなブルースシンガーを尋ねたら、「ボブ・ディランだ」って答えてましたね。印象的でした。 カズマロ:ボブ・ディランの名前を出したのはちょっとかっこつけすぎだったかな。僕が初めて買ったブルースのレコードはキャロライナ・スリムで、大きな影響を受けた。初めて買ったフリージャズのレコードがポール・ブレイで、その後の僕に大きな影響を与えたように、キャロライナ・スリムは僕の先生のひとりになった。 きっとそんな感じで、60年代のニューヨークのフォークシンガーたちはブルースを学んだのだろうと思う。そのような人たちに、僕は近しいものを感じる。彼らは多様なのだが、僕は広く聴いていた。ジョン・セバスチャンから聴き始めた。フレッド・ニールやジェフ・マルダー。コーナー、レイ&グローヴァー。トム・ラッシュ、マーク・スポールストラ。そして忘れてはならないのはジョン・ハモンド。僕は彼のステージを2度観ている。2度とももう少しで話ができそうな感じで、機会を逃してしまった。 彼らや、もっと他の人たちに僕は影響を受けた。ストレートに現れている面もあるが、僕ならばこうする、という影響の受け方もある。最近ずっと演ってる「オン・ザ・ロード・アゲイン」「スーナー・オア・レイター」という自作曲は、タイトルこそ彼らからもらったのだが、内容は自分の経験や、そこから来た考え方を歌っている。 後半へ続く

カズマロ:そうだなー。僕は弾くことも語ることも苦手なので、弾き語りはできない。ブルースを歌うフォークシンガーになりたいので、いまひとりで活動している。