2026/11/02 18:57

about WISCONSIN
シュウ: 昨年ウィスコンシンという土地を初めて訪れて、決して大きな街ではないけど、とても文化的な街だと思った。ミルウォーキーには歴史あるラジオ局があり、数えきれないほどのレコードやCDが自由にレンタルできるようになっている。俺たちがラジオに出演している間、おそらく10代だろう女の子がふらっとやってきてP.J.ハーヴェイのアルバムを借りて行ったんだ。
その夜、俺たちはミルウォーキーでライブをしたんだけど、昼間のラジオの放送をたまたま聞いた男性がライブを見にきてくれたんだ。
グリーンベイでのライヴでは小さな子供から杖をついた高齢者まで、本当の意味で幅広い人たちが俺たちの演奏を楽しんでくれていた。
俺たちの演奏前にはサックスという名の詩人が”Balladmen”というタイトルの自作の詩を朗読してくれて、会場は暖かい雰囲気に包まれていた。

写真:ウィスコンシンの詩人サックス
エイモス: サックスはウィスコンシンではおなじみの、頼もしい存在なんだ。たしか彼についてのドキュメンタリー映画がどこかにあったと思うんだけど。僕の記憶が正しければ、90年代にはWilcoのライブでも詩を朗読していたはずだよ。
サックスが紹介してくれると、いつもその場がちょっとしたお祝いのような雰囲気になるんだ。
シュウ: そしてアップルトンには君のレコーディングスタジオがあり、その佇まいはまるで町の散髪屋さんのように風景に溶け込んでいた。
とにかく、ウィスコンシンは文化的で音楽やライブイベントが日常的で気軽に触れられる環境だと感じたんだ。そんな環境が君やウィスコンシンで活動するミュージシャンやアーティストに良い影響を与えていると思っているんだけど、君はどんなふうに感じているのかな?
エイモス: 君が挙げてくれたことは、どれも間違いなく素晴らしいことだよ。
ただ、そうしたものは、アメリカでますます大きくなっている、芸術や音楽を置き去りにする文化に抗うような形で存在しているんだと思う。
資本主義は、これまでもさまざまな形で僕らを欺いてきたけれど、そのあらゆる側面が、今では芸術がかつてのように豊かに育っていくことさえ難しくしているんだ。
例えば、Tenementが知られるようになった理由のひとつには、僕らの活動初期に大きなDIYシーンが存在していたことがある。そこでは、若者たちが自分たちの家の地下室やガレージ、リビングルームを使って、既存の仕組みに頼らずにライブを開催することができたんだ。
それは巨大な文化だったし、僕らはModern MachinesやHoly Shit!といったバンドの先輩たちを通じて、その文化に触れることになった。でも、生活費が高騰した今、そうした文化がかつてのように盛んになることは、もう難しくなってしまった。

写真:ウィスコンシン州グリーン・ベイのレコードショップ/イベントスペース、GBUFO
エイモス:グリーンベイにGBUFOのような場所が存在しているのは、僕らにとって幸運なことだよ。彼らは自分たちの時間や労力、そして場所まで提供して、今の時代にも人々がそうした体験をできるように活動を続けているんだ。彼らはそこから利益を得ているわけじゃない。今の時代、利益が見込めなければ、ほとんどの扉は開いた途端に閉ざされてしまう。
企業社会が芸術から利益を得られる余地を締め上げてしまった今、それは大きな問題なんだ。ほとんどの事業主にとって、芸術を受け入れる現実的な余地がなくなっている。
かつてないほど厳しい状況だよ。それがどれほど有害なことなのか、人々はまだ気づいていない。でも、いずれ気づくことになるだろうね。
シュウ: 日本でも同じようなことが起こっているよ。例えば、今やLP一枚だって贅沢品だ。バンドでLPをプレスするなんて、夢のような出来事となってしまった。 合理性、目先の生産性が大好きな資本主義は俺たちの楽しみをどんどん奪っていく。こんな状況で反映し得る芸術や音楽とは共存することも難しい。
もし抗うような形だったとしても、自宅でのライブやGBUFOのような場所で、世代を越えた人たちがどこからともなく集まって、同じ時間、同じ音楽を楽しんでいる状況を、俺はとても面白いことだと感じたよ。
ミネアポリスでは民家で演奏し、グリーンベイではGBUFOで演奏したけど、明らかに俺たちは異色な存在だった。にも関わらず、誰もが俺たちにフレンドリーで、興味を持ってくれていた。日本ではちょっと経験できないことだから、余計に俺は中西部には興味を抱かずにいられない。
ハウスショーについて教えて欲しいんだけど、君たちの地元、アップルトンでもハウスショーは盛んなのかい?
シカゴやミネアポリスでは数多くのハウスショーが存在していると聞いたよ。元々はどういった目的で始まったの?
エイモス: そうだね。Appletonでも少なくとも以前はハウスショーが一般的だった。今では20代くらいの若者が一軒家を丸ごと借りること自体が難しくなっているから、かなり珍しくなったけどね。僕が10代の頃は、田舎の地域でさえハウスショーはよくあった。

写真:2025年8月、Duskのミネアポリスでのハウスショー
エイモス: 高校を卒業したあと、自分でもパンクハウスを始めたんだ。
The Slaughter Houseっていう場所だった。半年くらい続いたかな。その後、BFGという別の場所を始めて、そっちは10年くらい続いた。世界中のバンドがそこでライブをしたよ。日本のバンドも何組か来たはずだけど、誰だったか思い出せない。
2009年にオカダ・ユウスケ(ex-Blotto, Lost Balloons)がTenementのミッドウェスト・ツアーでローディーをしていたとき、一度遊びに来たこともあった。週の毎日のようにパンクのライブをやっていたこともある。
その文化がいつ、どこで、どうやって始まったのかは僕にも分からない。
でも、少なくとも90年代初頭まで遡る記録は確実に残っている。
僕が最初に行ったパンクハウスは、たしかミルウォーキーのThe Robot Houseだった。
Modern Machinesのメンバーたちが住んでいた場所で、僕が高校時代にやっていたバンドも、そこの地下室でライブをした。あの経験は僕にものすごく大きな印象を残した。そして今でも、僕の創造性を前へ押し続けている。
シュウ: 日本は国土が小さく、土地も家も小さい。だから譲り合いながら暮らしていて、ハウスショーを開催するのは難しいと思うんだよね。特に東京のような都会では。
エイモス: 前回日本をツアーしたとき、その感覚を覚えているよ。すべてがコンパクトにまとまっていることには、どこか理想郷的なところがある。ものすごく密集しているのに、日本をどこか趣のある場所に感じさせるんだ。
アメリカはあまりにも広大で、その多くの場所が暗く、何もなく、朽ちていっている。
シュウ: 昔、テキサスからニューメキシコを旅した時に国道沿いに廃村をたくさん見たんだけど、現地の人に廃村になった村の住人たちは何処に行くのか尋ねた事があるんだ。そしたら「ふたつの村の住民が一つになって新しい村を作りに行く」って言ってたんだよね。それを聞いてアメリカって本当にスケールがでかいな、と感心した思い出があるよ。
ところでアップルトンには本当に街路樹としてりんごの木が生えていたよね(俺は東京の三鷹という街に住んでいるが鷹になんてお目にかかったこともない!)。アップルトンは町の名前が先なのかい?それとも元々りんごの名産地なのかい?
エイモス: ハハ!Crutch Of Memoryの前庭にはリンゴの木が一本生えてるけど、そんなに一般的なものじゃないと思う。
Appletonという名前は、1800年代初頭に地元の大学へ莫大な額の寄付をした裕福な慈善家にちなんで付けられたんだ。
通りが全部リンゴの木で埋め尽くされていたらよかったのにね!この地域は、どちらかというと製紙業で知られている。それがこれからの100年でどうなっていくのか、見てみようじゃないか。
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後編へ続く